1章の23
「失礼する。そこの店主、そのブレスレットを見せてもらおうか」
そして現れる、蒼の者――。
「えっ……あぁ。どうぞどうぞ、〝アジュアメーカー(蒼の聖典守護)″様」
さっきまで色気たっぷりの、商売っ気を振りまいて元気だったおばちゃんが、急に緊張した面持ちに変わるっ!
「……確かに。少し高いが、神の水都から運ばれたようだな」
じろじろと、そのブレスレットを見やる蒼の者。
「そっ、そんな。高く設定をしてるわけじゃないさっ、いやだわぁ。これを持ってくることがどれ程大変か……」
「そうか」
おばちゃんの話の腰を折るように返事する、蒼の聖典守護。
どうやらお値段は、どうでも良いらしい。
上げたり下げたり、裏向けたり表の文字をジッ……と見たり。
「それで、これが〝ブルーブラッド(蒼白なる生き血)″等と、お前たちが呼んでいる物だな?」
そう言って蒼の者は、ブレスレットの先を示す。
「そっ……そうだよ。間違いない本物さっ。力もこもってる。なんせあの御神水、バイオ・ストリームが入ってんだからねっ」
そのおばちゃんの言葉に、何かの術式だろうか?
蒼の者の手がうっすらと、光を放つ。
それと〝ブルーブラッド(蒼白なる生き血)″を反応させているらしい。
「少量だが……。そうか、分かった。確認が取れた。品物は健全で疑いがない」
「ふぅ――。そっ、そうだろそうだろ? 私が商売で……」
「それでは次だ。神が、ダヌディナ様が。かの者を守るという約束はどこにある」
……。
「えっ……?」
一息つきかけたころに突如、質問がささる。
「そしてかの者への授与運命。手に入れるべき、とダヌディナ神様が示された印を、見せてもらおうか」
「あっ……。ちょっ、ちょっと待っておくれっ!」
矢継ぎ早の質問。
おばちゃんはしどろもどろだ。
そして、何かを感じ取ったようでもある。
「それはその――。なんていうのか、ねぇ? 〝感じる″じゃない? そう……さ」
「感じる? お言葉をいただいた訳では無い、と」
蒼の者が、おばちゃんの応えに再度、質問する。
そうすると途端に、おばちゃんの様子が変わったっ!
「えっ……。あぁ。いや。まぁねぇ」
全身ずぶぬれになるほど汗を吹き出し、蒼白になってしまう!
「つまりは店主は、独断で神威(カムイ)を語ったと」
「そっ……、それは。あたしゃ別に、神様のお言葉を代弁する神威(カムイ)なんて決してっ! そそっ……。そんな重大なもんじゃ」
今、おばちゃんは神威(カムイ)。
要は神からの、『直接の』言葉や寵愛をねつ造したと、容疑をかけられているのだ。
「だがそれは、〝ヒューマン・ディスグレイス(人類汚辱)″。人類への最悪の侮辱であるっ!」
宣言するように、声高に言い放つ〝アジュアメーカー(蒼の聖典守護)″っ!
その言葉に、市場が止まった。
淡々とした蒼の者の言葉の中に、ただならぬ断罪と、怒りの念が感じとれるっ!
「でももし、神様がいればきっと……。そう言っていただけるさ。ねっ、そうだろうケヴィンっ!」
そう震えながらも強く、ケヴィンの裾を持つおばちゃん。
だがケヴィンには、答える事はできないようだった。
「ならば直接会って、神の裁きを受けてみるか、店主。もし、神が言っていないとお答えを示された場合、我ら人間族全体をたばかった罪……。重いぞ」
「そっ……それは、それだけは勘弁しとくれよっ!? なんでいきなりこんなっ……。こんな事に。はぁ……はぁっ!」
動揺に次ぐ動揺。
おばちゃんはかなり、狼狽している。
その横でジキムートも同じく、蒼白になっていた。
「人間〝族″をたばかった……か、なるほどね」
〝ヒューマン・ディスグレシス(人類汚辱)″。
それは、神様の言葉を勝手に、個人で使った詐欺事件。
もしくは文書偽造、という事で理解すれば良い。
だがこの詐欺は、字ヅラ程度では収まらないのだ。
人類汚辱、その物々しい言い方も恐らくは、コケ脅しではないのを感じ取るジキムート。
この状況下、彼はとある童話を思い出していた。
その童話は、『虎の威を借るキツネ』。
(虎の威を借るためにはまず、嘘つきと妄想癖をやめよ……か。なんとも皮肉が効いた話だな。これじゃあ宗教が、ほとんど成り立たねえじゃねえか。)
この童話の内容。
それは、力強く偉い虎と、ひ弱でずる賢い狐のお話。
ある日、嘘つき狐は虎に言った、自分は偉いと。
私の権威を見せてやる。
そう言って、町を虎と一緒に、まるで嘘つき狐が虎を従えたように歩いた。
当然町は、虎を恐れて縮こまる。
そして嘘つき狐は住民が恐れる姿を、あたかも自分の権威であるかのように見せ、虎を驚かせた。
ここで言う虎を神に。
そして狐は、人間に変えれば良い。
そうすれば我々の世界、ひいては、ジキムートの世界の宗教の原理に近い、民話になる。
だがこの世界では、民話に追記ができてしまった――。
(この後、この世界じゃあ他の狐共がシャシャリ出て来て、神様に直接聞いてくださる訳だ。イチイチ。この狐がやった事は、神様をたぶらかす行為です~って。そういうチクり魔はどこにでも居るが、な)
押し問答を繰り広げているおばちゃんと、蒼の者を見比べる傭兵。
今回はおばちゃんが嘘つき狐。
蒼の者が、正直なチクり魔キツネ、だ。
問題はその後。
(もし……。いっぺんでも嘘がバレたら即、人類全体の敵。毛皮にされて、フードにされちまうってか。すっげぇ面倒な処刑スイッチが、日常に埋め込まれてやがるっ。神威(カムイ)ってのは面倒要注意だ。)
ジキムートが頭をかく。
その顔にはありありと、『面倒臭ぇ』という文字が浮かんでいた。
(だが、俺がいっちばん警戒しなきゃなんないのは、神様なんかじゃねえ。)
「おいおい、俺らの神様のお言葉をあろうことか、人間が語ったらしいぜ? 正気じゃねえぞっ。そんなクソゴミが、この国にはいるのかよっ」
「ありえねえっ。そんなの死刑だっ。万死に値するっ。俺達は神様のしもべなんだぞっ! てめえの妄想の神様なんぞ、聞きたかねえっ」
幾人かが叫んでいる。
周りを見渡す傭兵。
「しっ、死刑だってっ!? 馬鹿言うんじゃないよっ。アタシは別に、そんな大事をしようってんじゃないっ! 黙ってなっ!」
死刑という言葉に敏感に反応し、怒りに任せておばちゃんが叫ぶっ!
だが……。
「黙ってろだって? 皆の神様の話に、黙ってられる訳ねえだろうがっ!」
「ババアッ! てめえ何様のつもりだっ! 俺らの神様を侮辱しておいてっ! その糞女をさっさと連れて行って、首を晒しちまえよっ!」
「神様はお前の為にいるんじゃねえぞっ! 独占するつもりかこの、メスブタがっ!」
「くっ、アンタたちっ! いい加減アタシらの話に……っ。」
「なんだったら俺が殺してやるよっ。神様のお言葉は神様からっ! 人間がひざまずくのも神様だけっ! それ以外の偽物は全部、消えちまえっ!」
「そうだそうだっ! 俺らの神への愛を、ババアに見せてやるぜっ! 神様を侮辱する奴は俺らの敵っ! 俺ら人間族、全ての敵さっ!」
「首を晒せーっ! 神に懺悔させろーっ!」
男も女も、老いも若きも。
口々におばちゃんを罵倒し、つかみかかろうとする聴衆たちっ!
しかもその言葉には、感情の『空疎さ』がない。
煽って楽しんでいるのではなく、切実な、心のこもった悪意。
まるで、自分が被害を受けているような、真摯で本気の言葉尻っ!
(だめだな。もうすぐリンチだ。)
ジキムートが聴衆を見渡している。
この熱気はもうすぐ、止められなくなるはず。
そう踏んで、身を隠そうと考えていると――。
「……仕事の邪魔を。しないでくれないか?」
〝アジュアメーカー(蒼の聖典守護)″が視線を動かし、騒いでいる聴衆たちを一瞥する。
「ひっ!?」
「……」
すると、今まで怒り猛っていた者たちが一斉に引いて、大人しくなったっ!
さすがに、聖典守護には気後れするらしい。
だが未だ、このおばちゃんを中心とした一帯には、異様な断罪の雰囲気が充満している。
(この話のキモは、神の一存じゃねえ。神が全てを動かしているように見えるがこの神威(カムイ)、それと〝ヒューマン・ディスグレイス(人類汚辱)〟。2つはセットだ。実際は同族嫌悪の感情の、その極みから生まれてやがるっ! 本人たちがどう考えているかは知らんが……な。)
虎を心の底から敬愛する狐の群れに、抜け駆け行為は認められない。
神を目の前にして絶対に容赦されない、『抜け駆け禁止の一線』があるのだ。
だがその反面、この世界には良い事もある。
彼ら狐である人間は、神である虎と逐一会話し、真実を知れるのだから。
だが――。
異世界人のジキムートには、そうは思えなかった。
(そうなると狐は、希望にすがる為の嘘は、つけなくなるな。神様にイチイチ言葉をもらわなきゃ、慰める事もできねえじゃねえかっ。じゃあ一体誰が人を――。いや、人の〝心″を救済するんだよ)
時に人は、嘘を求める。
絶望に打ちひしがれた時、ワラをも掴む人は『宗教』という虚像にすがろうとする。
だがこの世界の教会では、『神はお助けになりませんが、私がついてます。神は貴方様には興味がないようですが、ね?』と言われてしまう訳だ。
一度見放されれば、終わり。
救いはどこからも、来ない。
(宗教の基本理念も、勧誘に救済。ことごとく全部、完全に崩れてやがるっ! 俺が思ってたより遥かに深刻だぞ、この国。いや、この世界っ!)
勧誘などしてはいけない。なぜなら信じていないモノなどいないから。
そして何より、救済などはない。
救済するなどと一言も、神が言っていないから。
そして残ったのは『罰』。
人と人とが与えあう、罰のみが残った。
「そこの騎士団員、この女を連れていく。手伝ってくれ」
「……」
言われるがままに、部下でもないハズの騎士団員が、蒼の者の言葉に従った。
おばちゃんを無理やり、引っ張って行こうとする。
「あっ、あたしは悪気があって言ったんじゃない……っ。そっ、そうなんだよ。それくらいで何さっ! 人類をたばかるって大げさなっ! ねえケヴィン、何とか言っておくれよっ」
叫びだしたおばちゃんっ!
しどろもどろというより、断末魔に近い。
「ごめん、おばちゃん」
ここに少し、下賤な表現を残そう。
ジキムートや私達の世界、そしてケヴィンの世界をSNSで例えようか。
ジキムートと私達の世界は、とある鳥が好き勝手つぶやいている。
まるでご本人のように、有名な人間や神、指導者の威厳をまき散らして、ふんぞり返ってアクセスを稼ぐ者がいる。
中世ならば勝手な自分の独断。
それを神の名を借りて、処刑や暴行が横行していただろう。
だがそれもある面では、救済となりえた。
なぜなら神などいなかったから。
救えるのは嘘だけだったからだ。
次にケヴィンの世界。
それはフェイスの本。
全てが明るみで、神の存在も確定している。
だが神を前にして誰もが、周囲の目を気にしていた。
神のアカウントへの服従を誓い続けてはいるが、そこに救済は無い。
真実が述べられるせいで下手をすれば、神が自分を助けない事が確定してしまう。
そして苦し紛れに間違った事を言えばすぐに、自分の名前が明るみになる。
そして火だるまになってしまう世界だ。
神のアカウントに触れようとすると、全員から嫉妬の断罪を受けてしまう。
嘘偽りのない、『余白』が無いケヴィンの世界。
「結婚相談か……。良いね、俺もお願いをしてみようか」
ジキムートが笑う。
「こちらに来てもらおう」
蒼の使徒が強引に、腕を引く。
それに引きずられるおばちゃんは何か、叫んでいる。
「ちょっ、待て。待ってって言ってるじゃないさ。店があるからっ。それくらい、それくらいは良いだろうって、言ってんだよっ。」
「おばちゃん……」
ケヴィンが苦しそうに、死に物狂いのおばちゃんから目をそむける。
「ほら、そこの兵隊さんたちっ! あんたらもなんとか言っておくれよっ! あんたらはここを長く、守ってきたんじゃないかいっ! あたしは決して神を冒涜したんじゃないって、分かるだろっ! 前はこんなんじゃなかったっ! ほらっ。助けなよっ!」
兵隊を呼ぶおばちゃん。
だが、苦々しい顔をして、騎士団はそっぽを向いてしまった。
(町の均衡が崩れている。だが、これが神が居る世界の幸せ……。か。)
見た事ない、神と人間との〝二重統治″体制。
それに目を白黒させるジキムート。
彼はふと……、シャルドネの姿。真紅のローブを思い出した。
おそらくは、そういう事なのだろう。
(慎ましい抵抗、な。そしてその先が知りたい、本気でよ。ヒトの信念すら神に飲み込まれて、屈服させられるのかを、よ。)
ジキムートは、そんな事を思った。
「……」
「神威(カムイ)は語っちゃダメなんだよ。ジキムートさんも気を付けてね。この町は今、生まれ変わろうとしている途中なんだ。神を真摯に受け入れるために」
静かになった市場の、止まったような時間が終わる。
活気が戻って騒がしくなる中、苦しそうな顔で語るケヴィン。
その抱えた痛みは、神への愛なのだろう。きっと……。
「そうか。俺、田舎の出だからな。緩まないように気をつけるようにするぜ。――所でケヴィン、尊神(リービア)はどうなんだ?」
雑踏の中、2人は人に流され歩いていく。
とりあえず、動きだした群衆から抜け出さなければならない。
「尊神(リービア)は、普通だと思います。神を敬う為に、人が自らに課す物だから。例えば……そう。ご飯を残さないとか。優しくするとか。それを他人に強要しないことが条件だけれども、ありですよ全然」
「……なるほどな」
(神威(カムイ)と尊神(リービア)。そんでもって大聖典と、小聖典。2つは同じだろうな。面倒くせえもんだ。)
小聖典が嫌われる理由もなんとなく、理解できた異世界人。
この世界。
もし神の誕生日が来たとしても、『喜べ』と直接言われない限りは、喜べない。
せいぜい心の中で尊神し、ケーキやモミの木に〝一人″で、もくもくと飾り付けるしかなかった。
そこに小聖典が無理やりに、人の感性をねじ込もうという訳だ。
だが民衆達はそれに少なからず、反発している。
神以外の言葉に躍らされたくない、という感情が強いのだろう。
神の居る世界は、神への同化も喜びの共有も、難しいらしい。
「神が目の前にいる孤独……か」
触れられる距離にいても決して、彼らは神に触れられはしない。
距離の問題ではない。
他人の目がある限り、世界は神が居る孤独に耐えなければならないのだ。