2章の30
「……。黙れ下民が。そこまで聞きたいならば、ちょうど応えてくれる相手に、今から会えるぞ。あの親子さ。そんな態度でいると、一瞬にして殺されるだろうが。くくっ!」
動くたびにジャラジャラと、首輪の鎖が鳴り響く。
そこは狭くて暗い洞穴の中。
闇の中で下賤な笑い声が混じった。
「ぺっ、それなら死んだほうがマシだ」
唾を男の顔に吹き付けるノーティスっ!
その瞬間水の民の目が、殺意に変わるっ!
――が。
「……」
水の民は舌打ちをしただけだった。
顔を拭き、前を向いて歩き出す。
「ふふっ、殺されるのはお互い様のようだな」
あざ笑うノーティス。
その言葉が水の民。
滅多と侮辱を受けない神の使徒のコメカミに、血筋を浮かべさせた。
だが決して、攻撃はしてこない。
ただただ苦虫を噛み潰し、歩く。
すると一際目立、つ大きな扉の前で止まらせられた彼女。
ジャラリッ!
「ゴディン様っ! お目通りを。お望みの者を連れて参りましたっ」
「よし……良いぞ、早くしろっ!」
「……」
ゴディンの返事に水の民は、扉を開けて、ノーティスをその部屋の中へと連れて行く。
キィ……。
「花の……匂い?」
ノーティスが敏感に感じ取ったのは、花の匂いであった。
一歩入ったその瞬間に、甘く甘美な匂いが一斉に解き放たれたっ!
その場所には美しいベッドに、豪華な装飾。
そして美しい花々が飾られている。
非常に整えられたインテリア。
地下だと言うのにまるで山頂のような、奇麗で清々しさを感じる空気。
「さぁさ、おいで。よしご苦労っ! さっさと出ていけっ!」
「……はい」
「あっ……おいっ。この事は御父上には言うなっ。後で私自らで報告する」
「分かりました」
ゴディンの言葉に聞き終えすぐさま、水の民は出ていった。
するとゴディンはすぐに、ノーティスの裸体に飛びつき、ノーティスを抱えて前の椅子に座ったっ!
「さてさて……お前。早くひざまずけっ。私に子供をせがみ、乞い願うんだっ。自分に愛を与えて欲しいとっ!」
「……」
ゴディンの言葉にやおら。ノーティスが笑う。
そしてゆっくりと屈み、ゴディンの前でひざまずくと――。
「私は……怒ってないわ、ゴディン。あなたが私を愛していたのは知っている。本当はあの時も私は、あなたを庇って死ぬ事を選んでいたのよ」
……。
「……っ!?」
その言葉に一瞬、ゴディンが止まる。
絶句と言うよりは、放心、か。
まるで心がハジケ飛んだように、顔をゆがませたっ!
–
–
「うあぁあっ!?」
「ほれほれっ! しっかりと声を出して神を……我を讃えよこの、メスがっ!」
「くっ……んんっ! あなたは……この聖地で最も、ぐぅ。優秀な方っ! 神の寵愛に秀で……あぁ。はぁ……はぁ。神のお言葉はあなたのお言葉っ! 神のおそばで耳を寄せる事ができる、あなた様……。……。はぁ……はぁっ!」
バキっ!
「何を休んでおるっ!」
「あぁ……。くひっ……。この神の使徒の中……で、最も素晴らしい〝ソレスティアル・ドゥーエン(予言者)〟マッデン様っ! ふぅ……ふぅっ!」
「ほれほれっ!」
男。
太った腹を突き出し、マブタは肉でめり込んでいる。
そして何より、肉の多さからだろうか?
特有の腐敗の臭いがする。
肉が腐った老廃物の臭い。
それが部屋の中の、甘い匂いに混じってまき散らされていく。
その臭いの元。
ヨワイ40を超えた男が、女の胸を強引に引っ張るっ!
「あぁ……あぁっ!? あなたは……あなた……は」
虚ろな目。
体はボロボロで、殴られ、掴まれた跡だらけ。
腕は氷で張り付けにされ、壁に打ち付けられた女。
それが言葉を、太った男に犯されながら、思いつく限りの最高の賛美の言葉を探す。
そして――。
「あなたはきっと、どの聖地の使徒よりも素晴らしく、最も神に近い人間です……マッデン様」
「……なにっ!? バッカもんがーっ!」
ドススっ!
女の腹に突き刺さる氷っ!
苦痛に女がうめくっ!
「……がっ!?」
しかし、焦ったようにマッデンが女の髪を握り、苦しむ女の耳に向け、怒鳴り散らしたっ!
「勝手な言葉を紡ぐでないわ、このメスがーっ! 神からの寵愛の優劣を、聖地の守護の間でつけようなどという愚行っ! 貴族の子女たる者がそのような無知っ。恥ずかしいと思わんのかっ!?」
「うぅ……」
「あぁいかんっ! その言葉をまるで、わしに強要されたと吹聴されては困るっ! 貴様の愚行はしっかりと、貴様の家で払わせるからのっ!」
「はぁ……はぁ」
マッデンの言葉に、女は何かを迷っているようだ。
「どうしたっ!? しっかりと自らの過ちを告白し、全ての責において自分を断罪せんかっ!」
髪の毛を強く、引きちぎれる程に引っ張られる女っ!
しかし、それでも彼女は何かを迷っている。すると……っ!
ザスっ!
太ももに刺さる、氷の刃っ!
「ぐぅっ!? もっ、申し訳ありません……でした。わたしのようなただの人間が、勝手な妄想で語り。あぁ……はぁ。〝カムイ(神威)〟を汚した事を、ご容赦下さい。これは……はぁはぁ。わたくし一人の……責任であります」
「……ちぃっ!」
女の言葉にマッデンは何かを一考し、女を突き飛ばしたっ!
「後で誓約書を書かせるからのっ。全くっ! 聖域がどれ程緊張状態にあるかを、クラインの貴族で知らぬとはっ! 女とは難儀な物よのっ。次々と狂わしてきよるわっ! それにやはり、あの賢王とか呼ばれた若造が就いてからと言う物、貴族の質が下がったわいっ!」
鬱積した物を漏らしながらマッデンは、体を起こそうとする。
すると、わざわざに魔法を使い氷を作って、段階的に自分の体を起こさせていく。
一人で立つのは億劫なのだろう。
そして魔法の補助でなんとか立ち上がると――。
その体は大きく、縦は180位。
だが横幅でさえも、女の背丈はありそうだ。
「管理の行き届かん女も、あの小僧め気に食わぬ……。ええいっ! 気に食わぬわぁっ! 」
マッデンはブツブツと言葉を吐き出し、巨体を引きずりながら、外へと出ていった。
バタンっ!
「はぁ……はぁ。とう……さま。かあさま……。申し訳ありません。申し訳……」
取り残される、貴族の女。
もう体がズタズタで、動けないのだ。
虚ろな目でボソボソと、何かをつぶやく。
ガチャリ……。
「大丈夫……ですか?」
入れ替わるように女が……。
とても若く、まだ26・7と言った位の女が入って来る。
質素な格好の、蒼の宗教着をかぶった美しい女性。
それが、心配そうに年もそう変わらない、貴族の娘に聞いてきた。
「……。はぁ……はぁ」
「すいません。すぐに直しますので」
応える元気のない貴族の娘に謝り、〝ブルーブラッド(蒼白の生き血)〟を取り出した女性。
しかし……。
「やめ……て、お願いです」
「……」
止めたのは彼女。
拷問のような性交をしていた女だ。
そして、涙を流しながら訴えてくる。
「もう……いやっ。私は家の為……。末弟だから、少しでも家を大きくする為に、ココに。 だけど、甘かったわ。こんなに……そのっ」
「厳しいのです……ね。分かります。これでもあの男の妻ですから」
悩むように手を取るその、マッデンの妻。
「聖地の男はタガが外れていると、聞いていました。ですが、人の扱いすら受けられないのですね。……ふふっ、貴族が言えた義理ではありませんが」
腫れた目で自嘲するように笑う貴族の娘。
「……」
この娘はマッデンとの子供をなす為にわざわざ、聖地まで来ていた。
マッデンはその性質上、あまり外には出れない。
神のお告げを聞ける者が外の世界に出ればたちまち、政争の道具になりかねないのだ。
聖地としても、特段の機会が無ければ外に出る事は禁じている。
ゆえにこの地までマッデンの子を――。
もっと端的に言うならば、優良で権威ある、人を統治しやすい血を引くために、体を売る。
その為だけに、貴族の子女は出向かねばならなかった。
「あなたは……。奥様は、大丈夫なんです……か?」
「私は――はい。私達水の民の女性は、大丈夫なんです。男が暴力を理由も無く、水の民の女性に振えばたちまち、破門されてしまう。それは、神が厳しく取り決めた一つの戒律ですので。ですがそのせいで、あなたのような……その、アレの趣味にあった女性が必要になってしまうの。ごめんなさい」
「そう……なの、ですね。なんと……。なんと神は我らに無慈悲なの……か」
泣きむせぶ貴族の女。
その戒律は水の民の女性、限定の物である。
そもそもまず、神が直々に戒律を作るときは必ず、普通の人間への指示は入れないのが通例だった。
すると、マッデンの妻はゆっくりと首に、その貴族の子女の首元へと手を伸ばす。
「もう……限界なのですね?」
「はぁ……はぁ。ふふっ……。申し訳ありません、奥様」
「分かりました」
「お父様。そして、最後まで止めて下さったお母様。私の役目……家の繁栄を願って送り出してくれた、お兄様にお姉さま。私はもう、耐える事ができません。この惨めな末弟にどうぞ、赦しの涙の青を……。神に届く静青を、お与え下さい。そして、最後のお願いです奥様。私に使うハズだったその神の息吹……。〝ブルーブラッド(蒼白の生き血)″を我が家に送って下さいませんか?」
……こくり。
「ありがとう」
「神の……お導きを」
ブシャっ!
マッデンの妻の手を握ったその力は、その瞬間、苦しみから開放された。
するとそっと、動かない貴族の末弟の胸に、マッデンの妻は蒼い花を抱かせてやる。
「駄目ね……。ダヌディナ様は樹を嫌うと言うのに私……。私の尊神(リービア)は汚れている」
泣きそうな顔でうつむくマッデンの妻。
手向けた綺麗な蒼は、瞬く間に赤く冒される。
そして、まるで花が吐血しているかのように、うなだれてしまった。
それを哀しそうに見つめる彼女。
「……」
その後マッデンの妻は、汚くなった――。
貴族の娘が最後に残した生きた証と、そして、自分の夫が行った陵虐の跡をキレイにしていく。
そして、血を浴びたその指でゆっくりと、扉を閉じた。