2章の13
「ビヒッ! ブッフッ……フーッフ、フー」
五月蠅い程先ほどから、殺意が聞こえる。
その唸り声で彼ら2人を威嚇し、そして、命を狙っているのだ。
しかし、動くことができない2人。
「世界中の聖域ってこんな……。なんつぅか。まぁ普通に言って、ヤバいのか?」
「い……いいえ?」
目の前には馬が、立っていた。
2本足ですっくと立ち、3メートルにもなる化け物馬。
牙は鋭く、ライオンを思わせる。
体は青い液体で濡れぼそり、艶めく筋肉は強靭。
ヨダレを垂らし、血走ったマナコ。
指は長く、そこから非常に長く鋭い、爪をチラつかせている。
そんな化け物馬が、2人の目の前に立ちはだかったのだっ!
「グゥ。ブフッフゥ。グルル」
鼻息を荒くする馬っ!
手からは多量の血と肉片、そして内臓か何かが、青いゲルと共に落ちていく。
ピシャっ。
「……」
遅れて降り注ぐ血が、ジキムートの頬を伝った。
裂かれた騎士団員の上半身は、天井にまで届いたのだろう。
哀れに2つにされた死体が、無惨にもハラワタを晒しそこいらに、別々に転がっている。
「襲ってきますよ……、ね?」
ノーティスが顔を強張らせながら、ピンクにも似たブラウンの双眸を馬に這わす。
「……だな」
「逃げますか?」
「逃げたいよ……な。うん」
剣はとうに抜き放っている。
それで威嚇しながら、化け物から距離を取ろうとする2人。
だがモンスターは、ジキムート達が下がった分だけしっかりと、近づいてくるのだ。
1歩下がれば、1歩進んで来る。
どうやら、逃がす気はないらしい。
「先に聞いておきたい事がある」
「なんです?」
「お前、目は良い方か? 人として、な」
「安心して下さい。フレンドリーファイアはしませんよ」
「ホントかよ――」
ジキムートがため息交じりに、耳をほじる。
彼ら前衛が一番怖い事は、後衛の魔法士の魔法力よりも、反射神経であったりする。
ジキムートの複雑な内心をよそにノーティスが、目の前の馬モンスターに集中する。
「どうしたものですか……」
こうなると、タイミングが難しい。
ゆっくりと下がり続ければ、外に出れそうだが、そうもいくまい。
かといって止まるには、勇気がいる。
どの時点でかは結局、覚悟を決めなくてはいけないのだ、が。
「……」
また一歩、また一歩と下がる2人。
そしてモンスターもまた一歩、また一……。
「……ふっ!」
ジキムートがいきなり、モンスターが近づこうとしているのにも関わらず、飛び出したっ!
「……っ!?」
「であぁあっ!」
紫電一閃っ!
圧倒的な速さで駆け抜け、相手の首に迫るっ!
ノーティスですら唖然としているその、俊足っ!
速さも間の取り方も、文句なし。
ペテンでモンスターを出し抜く傭兵っ!
「ガっっ!?」
「もらったぁっ!」
ヒュンっ!
完全に入った。刃が首をとらえたっ!
だが……っ!
べちゃっ!
「……っ!?」
感触がおかしかった。
何か、スライムを叩いた時と同じ気配がする。
その感覚と同時にクルリっ、と向き直った馬と、ジキムートの目が合ってしまうっ!
「グォォオッ!」
「やべっ!?」
ガコンッ!
とっさにジキムートが左の手のひらに、ナイフを〝射出″するっ!
手の中には、先ほどには無かったナイフ。
それをすぐさま投げ放つっ!
ズブルっ!
「駄目かっ!?」
命中させても結果は同じ。
何かに阻まれ、眉間に刺さったはずのナイフがずり落ちるっ!
そのナイフの末路を見る頃にはすでに、ジキムートはモンスターの腕につかまってしまっていたっ!
「ジキムートさんっ!」
「くぅぅっ!」
呻くジキムートっ!
その瞬間っ!
「――」
ノーティスが何かを考え始めた。
しかし、その考えがまとまる前に、ジキムートの左のマントが取れて……っ!
「なっ……なんです、アレっ!? 奴はハーフサーペントかっ!?」
驚愕するノーティスっ!
「ガヒッ!? ヒヒッ!?」
同じく獣も、驚きの声を上げた。
何せ人間からウロコが、ヤイバのウロコが出現したからだっ!
だがそれは間違いだと、黒光りするヤイバの重厚さで気づくっ!
すると……っ!
「オラァアッァ!」
獣染みた叫びが木霊するっ!
傭兵は自らに装着した、凶悪なガントレットを振るい、その馬の手をはじき飛ばすっ!
「グォンッ!?」
人間をつかむのに苦労しない程の、その大きな四本指。
それが、凶器の巣窟と化したガントレットの凶悪さに、あっさりと負けたのだっ!
弾いて直後、ジキムートがウロコで相手に、タックルを仕掛けるっ!
「うらぁっ!」
がっしりと整列したナイフのウロコ。
それは固く、そして何より至極凶悪っ!
人間にそれが当たれば、ケガ程度では済まないだろう。
千本の針に刺されたに同じ。
人間メッシュにされてしまうっ!
べちゃっ!
「ググッ!?」
ぶちかまされ、獣がうなって飛びのいたっ!
その姿に笑い……。
ガシャッ!
ウロコを勃起させ、威嚇するジキムート。
だが――。
「さすがに一撃じゃあ、なんともならねえか」
未だ馬は健在だ。
残念だが凶器の山をもってしても、傷一つついていない。
すると……っ!
「氷のツタよ、からめ取れっ!〝アイス・レーダ(氷蔦群打)″っ」
ノーティスがスキを見て作った呪文。
氷のツタが真後ろから、モンスター馬を絡め取るっ!
氷に浸食された馬は……っ!
「ブフー……」
振り向きさえせず、氷が体液に飲まれるのをただ、見ているだけであった。
「クソっ」
「おいおいっ。てめぇにはアレが、ハチミツたれてるように見えんのかっ!? 相手は水だろうがっ。属性考えろよこの、プロ魔法士っ!」
馬を挟んで反対にいるノーティスに、指を指してぶちキレる剣士っ!
「いえっ、分かってますよっ! 自分でマナサーチしてみなさいっ。こんの脳みそ筋肉の馬っ鹿モンがぁっ!」
ジキムートの嫌味に、ぷんすか怒るノーティスっ!
(あぁ、そっか。この世界はマナが潤沢にある分、そこにあるマナ『だけ』しか使えないのか。結構そう考えると面倒だな。)
良く考えれば、マナが偏った場所に住んでいるモンスターや、人間もどきを狩るとして。
その場合、非常に面倒になるはずである。
例えば水の神域内で出会った、目の前のような生き物がソレ。
「唱えられる呪文は水系統だけですね、ここでは。何せ聖域を超えた、神域ですからね。魔法具もやはり、意味ないかと」
「神域、ね。当然水は、コイツには効きにくいわな。お前、完全なる役立たずじゃねえかっ!?」
「……そこに気づくとはお目が高い」
「それでその位置か」
「ええ」
ノーティスはすぐにでも、逃げれる場所に陣取っている。
だが、それも恐らくはそれ程、意味をなさないだろう。
「足……、早そうですよね。コイツ」
「だな」
馬。
そう、走る為に生まれたような生き物だ。
まぁその姿を見て、徒競走を申し出る奴はいないだろう。
「呪文にも強いがいかんせん、刃物にも強い、と。敵さんはスライムと交尾でもしたのかね? 溶けねえだけだけマシだが」
ジキムートは、べったりとそのガントレット。
あの爺さんから買い取ったガントレットについた、青っぽい液体を触る。
ネバっと絡む、樹液のような液体。
それは、馬モンスターへの攻撃を効率的に防ぐ、液状の鎧の役割をしていた。
「どうしますか?」
頭をかき、銀の髪を揺らすノーティス。
「さぁな」
手詰まり感がある。
そんな人間の厳しい事情を察したように、一気呵成に馬が襲いかかってきたっ!
「ヒヒーンっ!」
「ちょっ、そっちにゴリラがいるでしょうがっ!」
ノーティスに一気に吠えかかる、馬モンスターっ!
目の前のジキムートを置いて、真後ろに走り出した。
「よっしゃ、ラッキーっ!」
自分をターゲットから外した馬に、早急に攻撃に入るジキムートっ!
相手は完全に後ろを見せたのだ、こんな好機はないっ!
自分の左の手のひらに、ナイフを2本。
そのウロコのガントレットを使って、〝射出″したっ!
ガコガコンっ!
射出音がし、ものの1秒もせずに手のひらに用意された、ナイフ2本。
それを一気に獣に投げ放つっ!
「どらっ!」
べちゃっ!かんっ!
1本は液体に沈み、2本目は一本目の柄へと見事に命中っ!
「くそっ、これでもダメなのかっ!?」
だが、それでも浅いっ!
液状の鎧が保つ水は、かなり多いらしい。
そして思ったより、硬質的な存在のようだ。
全くと言って良いほど効いてないっ!
「ブヒッヒーンっ!」
ジキムートに背を向けたモンスターの背中が、あっという間に遠ざかっていくっ!
逆に馬が近づいてくる事になったノーティスは……っ!
「〝アイス・ストーム(氷円嵐撃)〟っ! これならっ」
ノーティスが迎撃用に唱えた魔法。
それは大容量、直径2・5メートルの氷の柱っ!
解き放たれた大氷柱が直進すっ!
「いかに水が効かずとも、魔法が生み出した純然たる『物理』ならば、鎧も貫通するハズっ! 最大出力のコレでならっ!」
相手にぶちかます、魔法型物理っ!
……だがっ!
「ヒヒーっ!」
気合のいななきっ!
モンスターがその氷に向かい、右の掌底一閃っ!
ガラッ、グシャンっ!
張り手一発で、ぶっとい氷を薙ぎ弾くっ!
「なっ……。馬鹿なっ!?」
甲高い音を立て、地面にぶつかる氷柱っ!
それにノーティスが青ざめ、悲鳴の声を上げたっ!
そしてその時にはすでに……。
ガシッ!
「くぅっ!?」
うめくノーティスっ!
モンスターの左腕につかまれ、体が悲鳴を上げるっ!
「うぎいいっ!?」
握力だけでも、ものすごい物があったっ!
握りこまれて体が一気にきしみ、ヨダレと激痛が湧きだしたっ!
しかも、かすむノーティスの目の前には、馬が長い爪を構える姿が見えたっ!
「あぁ……」
太く頑強そうなその、カルシウムの塊。当たれば終わりである。