1章の39
「ぐぅ……」
ジキムートは右手を押えていた。
腕は、機能を失うほどに血まみれになり、剣は地に落ち――消えた。
「そらそらっ!」
ヒュンヒュッ!
「っ……やっべぇ」
次々と襲い来る斬撃の波に彼は、なんとか右腕をかばいながら、必死に逃げ続けているっ!
傭兵は功を焦ったばかりに、右腕の鎧の隙間を刺され、関節にナイフが貫通していたっ!
そればかりかその後、腹部にまでナイフを差し込まれていたのだっ!
「動きが遅いぞっ!」
「くぅ……っ」
血が滴る度に体は重く、動きは鈍っていく。
しかも……。
「ギュガガっ!」
ドスッ!
「ぐぅっ!?」
〝ジーガ″のタックルを受け、体をたなびかせるジキムートっ!
そのスキを狙ってくるローラっ!
「せいやっ!」
ひゅっ!
「うぅ……」
なんとか身をそらすジキムート。
ローラが声を上げる度に、彼の弱々しい声が響き続けている。
傭兵は痛む腕を押え、苦痛に顔をゆがませながら、傷口を握りしめて立つ。
(くそっ。もう揺れただけで、痛みが走りやがるぜ。ジーガも、戦闘力はかなりおとなしくなってはいるが、十分に大敵だ。このピンチ、俺一人でどうしろってんだよっ!)
初撃で食らった、顎のナイフ傷。
そこから流れる血も止まらない。
満身創痍だった。
「なかなか鬱陶しい傭兵。ゴキブリ並みの生命力だな」
汗をぬぐうローラ。
(そろそろ時間が……。ジーガへの魔力も温存したい。もう、限界だ。)
(あぁ……やべっ。眠気まで来やがったっ。体の痛みも限界だぜ。)
2人はそして、覚悟を決めた。
「よし、これで」
ジキムートが、ナイフを両手に持ち……そしてっ!
「ふふっ。それでは、な」
「っ!?」
ローラはふっと背を向け、去って行く。
ジキムートが肩透かしを受け、唖然と立ち止まる。
「そう言うことか……。だが、いや……」
ジキムートは気づく。
敵にもここで、わざわざ決着をつける等という、意味のない行為をする理由はないことに。
「では、良かったな傭兵。生き残れて」
そう言い捨て、ローラがあの城――。
ヴィエッタが待ち構えている場に、向かって行く。
ローラが去ろうとする中、ジキムートはこの事件を整理し始めた。
(どう考えても、この事件の首謀者はあの〝2人″のうちの、どちらかだ。どっちかは分からんが、本命の目的は、シャルドネの命。そしてそれに並ぶ、大きな『問題』の掃除っ!)
ジキムートは考える。今追うべきか追わないべきか。
どちらが自分にとって〝利益″があるか。
(俺は逃げてどうなる? 俺はどういう位置の当事者だっ!? 俺が本当にするべきは……聖地だ。そう、聖地なんだよっ。アイツら2人の目的とは、相いれる目標のハズっ! アイツら2人共が、聖地にご執心だった。なら俺もその船に、乗っけてもらえば良いのさっ!)
ジキムートは頭で思考をめぐらしながらも、白む目でローラのすきを伺い続ける。
(まずは交渉っ! 相手と利益を分かち合わねえとなっ。 相手にうまみチラつかせねえと、話になんねえっ。だが俺に分かんのは、シャルドネの命が欲しいって事くらいか)
ローラ達の欲しい物を手に入れる、手助けをする。
それが一番簡単な、『船に乗る』方法だ。
しかし――。
(つっても俺は、奴らのいちみになる訳にはいかねえ。一緒にシャルドネ殺そうなんて言っても、意味がねえんだっ。浅くもぐらなきゃ、取りこまれちまうっ!)
傭兵はあくまで、雇われる存在だ。
仲良く利益を分け合える、幹部ではない。
(手元に交渉材料がねえなら……。そうだ。奴らが欲しがるような利益を作り出すっ! 無いならあるようにすれば良いっ! 失敗すりゃ地獄行きだが、ここが勝負っ。)
傭兵は右手を押えながら〝それ″を、そっと右の手の中に仕込む。
『刻』を待つジキムート。
そして……っ!
「当たってくれよ……。俺の勘。行くぞっ……。ふっっ!」
大きく息を吐き、やおら走り出したっ!
「ぬ……」
その殺気に気づき、ローラは後ろを見る。
「死にぞこないがっ。逃がしてやろうというのだっ!」
叫ぶアサシン。
その罵声の先には、根性だけ背負って駆けてくる、手負いの狼っ!
眼はすでに、殺意一色に染まっているっ!
「嘘の……臭いっ!」
ジキムートはローラの言葉にひるまず、そのまま走りこむっ!
さすがの速さというべきか。
もうすでに、彼女の目前だっ!
「ジーガっ!」
「ガヶっ!」
ジーガに命令し、ローラは傭兵を――。
満身創痍の敵を注視し、違和感を感じとる。
(本当は傭兵をシトメろと言われていたが、あの方の周りを五月蠅く羽ばたかねば、それで良い。もう二度とツラを見られなくなれば、な。この男、一体何を考えている? 見逃してやろうというのだぞ。と言っても、私からは逃げられても、憲兵どもからは逃げられないが。)
ニヤリと笑みがこぼれた。
今回の事件で、最も怪しまれるのはやはり、ジキムートだ。
突然やってきた男がいて、この襲撃。
時期が悪すぎ――いや、彼女達にとって〝良すぎ″た。
(頭を回して、よしんばそこに気づいたとして、だ。お前が最もすべきはこの、ニヴラド領内から逃げるべきではないのかっ!?)
我らの都合通りにな。
きっとこう付け加えるべきだろう。
だが普通ならばそれが、正解である。
ローラはこの、〝特攻″と呼べる行為に何か、不審な物を感じ取る。
「まぁ……良いっ!」
彼女はジーガがしとめそこなう事を見越し、ナイフを用意する。
相手は手負い。
右腕は使えない。
バスタードソードも持っていない。
そして、左の腕ももうすでに、クスリの影響下でジーガを素手で殴って、折れていた。
警戒すべき物はもう、何も無い筈。
「でやぁああっ!」
激しく振動するジキムートの体。
その傷ついた右腕からポロリ……と、ナイフが落ちてしまったっ!
「ちぃっ!?」
「武器も落としたっ」
ニヤリっ!
その瞬間っ!
「おらぁっ!」
ヒュンっ! ヒュンっ!
ナイフが飛んでくるっ!
――ジキムートの両手から2本っ!
「なっ」
驚愕の声を上げ、ローラは必死にそれを避けた。
だがしかし、その動きは散漫っ!
「サンキュウなっ、ケヴィーーーンっ!」
叫んで、落ちていた誰かの剣――。
ローラを襲う前に、丁度拾える場所。
それを拾い上げながら、傭兵がジャンプ一閃っ!
ガっ!
「ガヶっ!?」
ジキムートがジーガの頭を踏みつけ、更に高く、より早く飛翔するっ!
そして……。
「きえええっ!」
ローラに迫る傭兵、ジキムートっ!
その大きく太い剣を〝両手″でがっちりと持って、彼は襲い掛かるっ!
「……ヤらっ!?」
想定より断然早く、そして、長大な射程。
ぐずっ!
ジキムートの手に、肉の感触が響くっ!
「きぃえええっ!」
傭兵は斬撃を振り切ったっ!
そして彼は、その場に倒れ伏せ……っ!
「はぁはぁ……。貴様っ。(ブルーブラッド〝蒼白の生き血″)を持っていたかっ!?」
「ごめいさ~つ。俺の腕の傷はもう、治ってるぜ。まぁ完全じゃねえが、な」
腕をぐっぱと握る、ジキムート。
すると……、ピシャっと血が落ちた。右腹部からは出血がひどい。
もちろん上に乗ったローラの、だ。
「……はぁはぁ。クソっ、認めざるを得ないな。貴様のペテンには」
想定外のジキムートの動き。
読み切れなかったアサシンは、瞬間移動のタイミングを逃してしまっていた。
完全に切っ先は黒づくめに届き、かなりの痛手となってしまっている。
「どうも……」
薄ら笑う傭兵は、絶対的不利の状況だ。
ジキムートの首元には、ナイフが迫っている。
だが余裕を感じさせる、その笑み……。
「それでその、次のいかがわしいペテンはなんだ? 口の中に何を隠しているっ!?」
大きく口を開け、ジキムートがアサシンに、これ見よがしと見せるその、何か。
「魔物だよ」
「あぁんっ!?」
不機嫌そうに、そして、息も途切れ途切れにローラが聞く。
「魔物だってんだ。俺は魔物付きなんだよ」
「魔物……だと? くくくっ、次から次へと……。よくも」
もう、笑うしかないのだろう。
敵が見せつけてくる〝ベロ″を覗き込むアサシン。
そこには黒く淀んだ文字で、何かが書いてある。
「異国の文字……。何と書いてあるっ!?」
「さぁな。俺も教えてもらってない。ただ一部の消し方と、修復の仕方だけは教えてもらった」
「……ふぅふぅ。くくくっ。それでぇ? その悪魔を引き換えに一体。そう……。一体全体何を望む、ペテン師っ!? 金か……。それとも自分の安全か?」
もう、お前と付き合うのはこりごりだ……。
と言わんばかりに、ジキムートの要求を聞くローラ。
実際彼女はもう、彼とは戦いたくない。
心が折れかかっていた。
「そうだな。じゃあ俺はお前たちの神。水の神、ダヌディナへの挑戦権をもらおうか」
「くぅ……。それは……ならない。貴様は〝あの男″と関係がある……からな」
「痛むか? だがもしこのまま続ければ、お前は死ぬ。そうすれば、作戦も続行できないぞ」
「はぁ……はぁっ」
ジキムートを睨むローラ。
彼女の目には、ペテン師が笑う顔がいくつかに、残像を描いて見えている。
敵の姿はぼやけ、そしてはっきりと、怪しい魔術文字が顔を見せていた。
「くっ、この悪魔め……っ」
「よく考えろ、使用人。俺は瀕死になるまで戦った。あのゴミどもと違ってよ」
そう言って目を配る城。
そこには、自分だけを残して逃走した、騎士団がいる。
「お前は信用しなきゃいけない、俺を」
ジキムートは真剣な眼で、彼女の眼に訴えかける。
「……ふふっ」
彼女は笑った。
「くっ、粘れ傭兵っ!」
ジキムートは今、あの黒づくめに上に乗られて、必死にあがいている――。
そのように、彼ら騎士団員には見えている。
それを騎士団達は、大声で応援していた。
「いけっ、傭兵。こう……体をかえすんだよっ!」
「根性見せろっ、根性だっ!」
室内は、傭兵に対する応援一色だ。
「ねっ、ねえ。これって僕たちが加勢さえすれば、勝ててたんじゃ……」
想定以上に粘る傭兵。
彼の強さは、ケヴィンが思うよりはるか上にあった。
「いやっ。そんなの分かるわけがない。戦場は水物っていうだろっ!」
「そうだぜっ。俺たちは最善を取ってる。間違ってなんかねえっ」
機嫌が悪そうに、言い返してくる騎士団員。
「……」
そしてジキムートらに動きがっ!
ザスッ!
「あぁっ!?」
「ジキムート……さん」
ケヴィンの目に映った光景。
それは、アサシンを蹴り出し、窮地を脱したジキムートが斬られた姿。
そのまま倒れ伏す傭兵は、動かない。
―
―
「ねぇあなた」
汚泥の道を行く2人。
レナとシャルドネだ。
「なんだい、レナ」
「この通路、どうして教えてくれなかったの? 私その……。びっくりしたじゃない」
「ああ……。忘れてたのだよ。こう言っては恥ずかしいが、このような事態、とんと想像に難しかったからなぁ。わしも、ヴィエッタが言い出すまでは忘れておったわ」
立ち止まり、レナに苦笑いするシャルドネ。
彼らは逃げ込んでからそれほどは、進んでいない。
どうやらその迷路は、結構な長丁場になるらしい。
帰れるなら帰りたい。
仲間が呼びにくればすぐにでも、帰れる場所に隠れていたのだ。
「ヴィエッタが……ね」
レナはその言葉に、怪訝そうな目になる。
「他にこの通路を知っている人は、いるの? 私いやよ? 助けが来なくてそのまま、なんて」
心配そうに聞くレナ。
「ああ、騎士団長は知っておるよ。奴はここの要だからの。副団長は知らんはず。その他には……、おらん。だが大丈夫じゃ、レナ。町からはそう遠くない場所に出るから」
「そう……。でもここまでくれば、副団長はもう、良いわね」
笑うレナ。
「うむ。信用できる者しか知らぬよ」
レナに言い聞かせるように、シャルドネが言う。
すると暗がりの中、レナの顔がひどく――ゆがむ。
「でももしも。これをヴィエッタさんが仕組んだなら、話は別だと思わない?」
レナの言葉に、シャルドネの顔色が変わったっ!
「そっ……そんな。何を突飛も無い言葉をっ!? あの子はそんな事はせんよっ、絶対っ。戦争をしないための国造り、それがヴィエッタの本心っ。わしを狙う道理が無いっ!」
「道理、ねぇ。」
レナは笑う。
道理が無くとも、人は人を殺す。
それを知っているからだ。
「あの子はヨシュアが死んでからというもの、政治の世界を必死に勉強したのじゃっ! あまつさえ、あの子はわしの跡を継ぐ決心で、自ら一人で戦場にまで赴いて、な。そこで色々と知り、ニヴラドを興そうと必死に努力しとるっ!」
「でも、それもヴァンができたため、変わった」
「……」
「だけれども、ずっと不思議なの。あの娘はなぜ、自ら当主の座を退いたのかしら? 私がここに来たくらいに突然、当主の権利を放棄したわよね? 女でも継げるというのに。あの娘の性格なら、後継ぎ争いに参加するのもやぶさかのはずよ? 色々とふに落ちないのだけれど?」
貴族の当主は、女でも務まる。
本当に国政に関わりたいならば、当主の座を降りる必要は全く、なかったはずである。
だが、ヴィエッタは自主的に、貴族の嫡子の権利を放棄していた。
「……それは」
口どもるシャルドネ。
「あの娘、一体何なのかしら? ヴィエッタが当主の座を退いた。その時私は安心した。それなのに……。それにも関わらず、あの子はまだ、何かを狙っているっ。これは間違いないわっ。眼を見れば分かる事よっ!」
「それは……。あの子もただ、ヨシュアに似て少し……。いや、かなりか、ふむぅ。負けず嫌いなだけなのじゃ」
「負けず嫌いでわざわざ、当主の座を避けたの? 何に勝つつもりなのあの娘は? でも今、最もあの娘の話で大切な事があるわ。それは、あの娘の思惑が達成されてしまえば、当主に舞い戻る可能性も高いという事。このまま行けばいずれ、ヴァンの命に危険があるのよっ!」
半ば狂乱したように、自らのふくよかな胸を抱きしめるレナっ!
「そっ、それはっ!? あの子は決して、そんな事はっ! レナ。分かってやってくれっ!」
言葉に困るシャルドネは、あたふたと、なんとかレナを説得しようとしている。
だが――。
「あなたはそう思っていても、周囲はそうは思わないわ」
「……」
実際彼女らの不仲は、町に長くいた人間たちならほぼ全員が、知っていた。
当然、事件がどういう顛末をたどろうが、この事件が〝どちらか″の策略だと、マコトしやかに口にされるだろう。
すると、レナの声色のトーンが一つ、下がった。
「それに実際、わたくし怖いのよ……。あの子自身が。世界に4つしかない聖地。それを手に入れた方法すら、あの娘はだんまり。家族すら未だ分からない。どんな手段を使えば、そんな大それた事ができるのかしら?」
世界中の人間が、すべからず敬う聖地。
黄金にも勝る至宝を手に入れる、という大偉業。
それを成し遂げる方法を考えつくなんて、不可能に近かった。
レナの眼はいつになく、真剣だ。
「それは……うむぅ。わしにも、なぁ」
困り果てるシャルドネ。
シャルドネにも、及びもつかない話であった。
交渉の一端すらも、当主であるはずの彼が知る事はない。
「どんな策謀があるっていうの、あの娘にっ! ヴィエッタが騒ぎ始めれば、神すらも動くというのかしらっ!? 何か狂気じみた事をやってるに違いないわっ! そんな子が、ヴァンを愛しているとは思えないのっ! この地下通路にだって、〝罠″がないか心配で……っ!」
「そっ、そんな事させんっ。例えヴィエッタが反旗を翻したと知っても、必ずっ! そう、必ずわしが守るよ、レナっ!」
シャルドネに抱きしめられ、レナは安心したように胸をなでおろし、闇でうごめく黒い髪を手でなでた。
「これで、〝奴″が来たら安心……かしらね」
そう言って彼女は、〝万が一″の時に備える事とする。
「もし〝ダメ″なら、私がなんとかしますわ」
「おいおい、レナ。あんまり無理をせず……。お前は逃げるんだよ。わしが命に代えても守って見せるわい」
シャルドネは優しい笑みをする。
「そんな、命に代えてだなんて。頼もしい……わ」
レナは笑って、ナイフを取り出した。
―
―
「よっ……と」
たなびく風の中、身を起こすジキムート。
満身創痍の体からは、今も苦しみと痛みが湧き出していた。
未だ高く上った、陽の光が眩しくて、目を背ける傭兵。
「俺はやれる事は全てやったんだ。なんとなんと、無給でな。あとは騎士団、お前らの番さ。お前らが自分の力とあと、何より〝覚悟″を示せよ」
ふぅっと息を吐き、彼はそのまま草の音を聞いていた。
どこからかふっ……と、悲鳴が聞こえた気する。
が、それは風に飛ばされ、消えていってしまう。